今回は「資産形成について考えることは生き方を考えること」ということについて書きたいと思います。
本格的に資産形成に取り組み始めて、8ヶ月が経過しましたが、資産形成と生き方を考えることは連動しているなと実感しています。
「資産形成」と聞いて考えがちなこと
まず「資産形成」という言葉を聞いて、どのような言葉が浮かんでくるでしょうか。
・貯金
・節約
・投資
・年収
資産を形成することですので、やはり「お金をどのように増やすか」ということを考えがちだと思います。
「お金」は大切
「お金」自体は、ただの紙切れであり、金属の塊であり、デジタルの数値でしかありません。
しかし、お金があれば、嫌な仕事、嫌な上司、嫌な人間関係などから逃れられる自由をつくるための土台でもあり、お金は生きるうえでもとても大切です。
よって、お金を増やすための資産形成への取り組み自体はとても大切だと思います。
「お金を増やすこと」だけに執着することは危険
一方で、「お金を増やすこと」だけに執着してしまうと、他人の資産と比べて落ち込んでしまったり、「◯千万円貯めてFIRE(※)しました」という他人のツイートを見て羨ましくなって今の自分に落ち込んでしまったりなど、良いことはありません。
※FIRE=「Financial Independence Retire Early」の頭文字を取ったもので、「経済的自立」と「早期リタイア」を意味する言葉
また、仮に数千万円・数億円のお金を得たところで、「お金の使い方」を誤り、身の丈に合わない生活水準で過ごしてしまうと、何かあった時に、すぐに破産してしまうということもあり得ます。
「お金を増やすこと」だけに執着することは、ある意味で「お金の奴隷」になってしまっているとも言えます。
「自分にとって心地よい生活」とは何かを考える
「お金を増やすこと」だけに執着しないためにはどのようにすればよいか。
「幸せなお金の使い方」とは何か。
これらを掘り下げれば掘り下げるほど大切になってくるのは「自分はどう生きたいのか」という視点だと思います。
「他人から見られてどうか」ではなく、「他人から何と言われようとも、自分はどう生きたいのか」を掘り下げる。
ついては、本当に「自分にとって心地よい生活」とは何かを考えることだと思います。
そもそも働きたいのか、働くならどんな働き方がいいのか。「働く」という行為ではなく、「人の役に立つことで対価をもらう」という行為をしたいのか。
自分は何に心地よさを感じるのか。心地よさを感じるためにお金はそもそも必要なのか。お金が必要ならどれくらい必要なのか。
など、自分を「内省」することが大切だと思います。自分もまだまだ掘り下げ中です。
「枝葉」と「幹」
以上のことから、「お金を増やす」ために取り組むこと(貯金・節約・投資など)は、あくまで「枝葉」であり、「自分にとって心地よい生活とは何か」を考えることが「幹」だと思います。
とはいえ、考えすぎて行動できないのは本末転倒なので、資産形成への取り組みを進めながら、「幹」を育てていくことが大切です。
私自身の投資方針と日頃から実施していること
私自身はトレーダーではなく、以下の2点を軸に資産形成しています。
【私自身の投資方針】
①長期保有(最低15年以上)を前提とした「手数料が安くて全世界の株式に広く投資する優良なインデックスファンド」への積立投資。
②長期保有を前提とした「優良な高配当株」への投資。配当金は、「今の生活を楽しむため」に、年に数回の妻との「安くて良い温泉宿」旅行への足しにする。
【日頃から実践していること】
① 日々の家計管理を適切に行う。具体的には、マネーフォワードMEのアプリを使用して支出を把握。(毎月10日は家計振り返りデー)
② 毎月の「手取り収入(税金等天引き後)の8割以内」で生活し、残り2割を投資に回す。そのために無駄な支出を減らす。
③ 「8割以内」で生活できない場合は生活水準を容赦なく下げる
④ 定期的に断捨離を行う(毎月の「不燃ごみの日」は随時チェック)
⑤ 「ボーナス(賞与)は幻」として当てにしない。支給された場合は全額投資へ。
おすすめ証券会社と銀行・クレジットカードの組合せ
新NISAで資産運用デビューしたい方、手数料の安い優良ファンドでインデックス投資したい方、少しずつでも株を購入したい方には下記の会社の証券口座をお勧めします。
最後に
今回は、「資産形成について考えることは生き方を考えること」について書きました。
自分の「幹」を育てながら、資産形成に取り組んでいくこと。そうする中で、他人の言葉や世間に流されない「自分軸」も定まってくると思います。
今日は人生で一番若い日。今日一日を大切にし、決して無理はしない。
そして、「小さなことに幸福を感じられる生活」を淡々と生きていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。